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DREAM21/所のコラム【グレン・ミラー 思い出の録音】 |
グレン・ミラーがドーバー海峡の霧の中に消えてから12年後の1956年、
ミラーの空軍バンドの副指揮者をしていたドラマーのレイ・マッキンレーがリーダーとなって
ニュー・グレン・ミラー・オーケストラが結成された。
以来、リーダーもクラリネットの名手、バディ・デフランコ、ピ−ナッツ・ハッコー、トロンボーン奏者のバディ・モロウ、
ジミー・ヘンダーソン、テナーサックス奏者、ディック・ゲルハートと移り変わって、
1988年から現在のリーダー、ラリー・オブライエンが指揮をとるようになった。
ラリーはすばらしいトロンボーン奏者で初代ニュー・グレン・ミラー・オーケストラにも籍をおいた。
89年以前にも、ラリーは82年から83年の2年間リーダーを務めたことがあったが、
音楽性は本物志向で誠実そのもの。
いっときショー・バンド風にくずれ安っぽくなりかけたグレン・ミラー・オーケストラをガラリと若いミュージシャンを中心に
メンバー・チェンジした。
新しいミュージシャンたちが猛特訓を受けたことは言うまでもない。
それはあたかも優秀な空軍士官を育て上げる鬼軍曹の姿そのもの。
(失礼、つい映画「愛と青春の旅立ち」のシーンを思い出してしまった。)
一糸乱れぬアンサンブル、メンバー各人のソロのすばらしさ
・・・・ラリーが指揮をとるようになって3年後には耳を疑うような優秀なバンドとなっていた。
時おりしもデジタル録音の全盛、従来のアナログ録音に比して機械的な音で人間味が感じられず、
いやだという人もいるにはいるが、
技術の進化は日進月歩、ミラー・サウンドのようなダイナミズムに富んだ録音にかけてはアナログ・テープの比ではない。
かくて、ラリー・オブライエン指揮/グレン・ミラー・オーケストラのレコーディングの話はトントン拍子で進み、
バンドのフランチャイズ、ニューヨークで録音することとなった。
1990年の録音は、ニューヨークは46丁目と10番街が交差する通称ヘルズ・キッチンと呼ばれる
コワイ場所にあったクリントン録音スタジオ。
日中はさほどでもないのだが、夜になってスタジオから帰る頃になると、
背が高く痩せこけた黒人達が街角に立ちはだかっていて、
大金の入ったカバンをぶら下げて通りぬけた時の恐ろしさといったらなかった。
スタジオは大きなスタジオAと小ぶりなスタジオBとあり、
我々の使用したのは大きい方、ビッグ・バンドのライブ録音にはうってつけのサイズだった。
マルチ録音に対して、ライブ録音を通称、ドウロク(同時録音)と呼んでいるが、
グレン・ミラー・オーケストラほどの実力を持っていれば、ドウロクは理想的な録音方法である。
プロデユーサーには以前CBSレコードでトニー・ベネットやパーシー・フェイスのプロデユースを担当した
アル・ハム氏を起用。
録音エンジニアはボブ・ジェームスを初め数多くのジャズ/フュージョンのアルバムを制作して有名な
ジョー・ジョーゲンソン氏。
1992年の録音は、ニューヨークのRCA録音スタジオ。当時RCAはBMGというドイツの
出版社に買収されてBMG録音スタジオと名前を変えるべくペンキを塗っている最中であった。
ご存知のように、グレン・ミラーは生前RCAの専属となって録音はすべてこのRCAスタジオで行なわれたという
いわくつきのスタジオである。
ミラーが好んで使用したというRCA社製の大ぶりなマイクロフォンが、
当時すでに2本だけ辛うじて現役として活躍していた。
ラリー・オブライエンのトロンボーン・ソロは、そのうちの一本を使用して録音されたこともお知らせしておく。
実にまろやかな優しいトーンが印象的であった。
プロデユーサーは、ボブ・ボーナス氏。
彼はファンタジー・レコードでジャズのプロデユースをする傍ら
CCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)のロードマネージャーもしていたという大男。
とにかく殺到してくるファンを押し返すのが仕事、ガードマンみたいなものだ、と笑っていた。
その彼もレコーディングの3年目後に癌で亡くなった。
グレン・ミラーに関しての知識はこの人の右に出るものはいないとの評判だった。
エンジニアはポール・グッドマン氏。RCAの超ベテラン、
数多くのミュージカルや大編成のクラシック音楽を製作した。
このグレン・ミラー・オーケストラの録音を最後に引退すると言っていたが、
RCAスタジオのエース・エンジニア二人をアシスタントにつけての記念すべきラスト・レコーディングであった。
スカッと軽やかにのびたブラスの輝き、うねるようなサックス・セクションの重量感、
これまで発売されたいかなるグレン・ミラーのレコードをはるかに凌駕する圧巻である。
デリケートで美しいピアニッシモから、突然大地を揺るがすダイナミックなフォルテッシモ
・・・・これはまさしくデジタル・エージにして初めて実現しえた、
そして生前グレン・ミラーが描いた究極のミラー・サウンドではないだろうか。
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